2015年11月26日

東京の中の佐賀「青山霊園28 赤羽平太郎」

赤羽平太郎という人の墓を見つけ墓誌を読んでみると、父は唐津藩士とありました。会津藩士の養子となり、20歳という若さで亡くなった人ですが、その経歴が興味深かったので紹介することにします。(別資料で補足しています)
平太郎(1865-1884)は、唐津藩士で江戸上屋敷詰多賀右金次という人の三男で、母は平岡鑛といいます。兄は日本で最初の児童遊園地「鶴見花月園」を開いた新橋の料亭「花月楼」の主人平岡廣高(1860-1934)です。
右金治は、慶応4年に御供頭筆頭として主君小笠原長行に従い鳥羽伏見の戦で戦いましたが、敗れて主君とともに会津に逃げおち、その後江戸に戻ったそうです。
平太郎が会津藩士赤羽助九郎の嗣子となったのもこうした経緯があったからでしょう。幼にして学を好み、助九郎も常にその孝を称していました。長じて東京外語学校に入り漢英仏の三学を修め、最も算数に詳しかったようです。


東京の中の佐賀「青山霊園28 赤羽平太郎」
2014年3月撮影

明治13年参謀本部が朝鮮語学生を募集すると、平太郎も採用され、3月、釜山に留学します。その後京城に行き、各地を巡歴し地理風土人情を勉強します。
17年10月秋期巡廻を命ぜられ、27日磯林真三(1853-1884)大尉とともに出発します。27日江原地方を廻っている時に、卒業証書が授けられて帰国を命ぜられましたが、平太郎は出張中でこれを知らないまま果川県に来た時に、京城で変があることを耳にします。韓吏を護衛する者は皆乱を避けて仁川に向かいましたが、大尉と平太郎は公使館の安危が不明な状態で逃げるわけにはいかないと、南大門に向かい、蜂起した群衆と戦います。しかし衆寡敵せずで、遂に殺されてしまいます。12月7日のことでした。
その遺体は乱後領事館によって仁川の某地に葬られました。翌1月25日、その遺髪がここに葬られました。

東京の中の佐賀「青山霊園28 赤羽平太郎」
2014年3月撮影

この事変は、甲申政変といいます。金玉均ら朝鮮開化派が日本の支援を受けて保守的な事大党による政権を転覆し、改革を推し進めようとしたものでした。しかし、袁世凱率いる清軍に廃退、政変を主導した金玉均は、日本に亡命、関係者は処刑されました。平太郎らは、このクーデター軍の敗退、逃走する開化派を追う国民らの攻撃に巻き込まれたのです。磯林大尉の死は、事変後日本政府によって政治利用されました。





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Posted by 佐賀城本丸歴史館 at 08:30 │東京の中の佐賀
この記事へのコメント
初めまして 赤羽平太郎の墓を管理しているものです
後世に伝えなければいけないのですが 何分 赤羽平太郎の詳細がわからず
苦労しています
教えていただける幸甚です
Posted by chinpei at 2016年07月03日 20:59
昨日、赤羽平太郎のお墓を探しに青山に行ってきました。実は青山霊園について何の知識もなく行ったのですが、あんなに広いとは知りませんでした。何とか会津藩士「赤羽家の墓」を見つけましたが、肝心の平太郎さんのお墓はみつけられませんでした。平太郎様のお墓が青山霊園のどの位置にあるのか、どなたか教えていただけませんでしょうか。(私、多賀家の遠縁にあたる者です)
Posted by cobacoba at 2016年11月21日 13:08
以前、平太郎様の青山霊園のお墓について尋ねた者です。先般、上記のアドレス宛にメールを差し上げましたが、エラーメッセージがでるので届いてないと思われます。ちょっとお聞きしたいこともあり、他のアドレスなどありましたら教えて頂けますか。
Posted by coba小林 at 2018年08月07日 09:22
2件のコメントにつき個人情報が含まれていますので、安全性のため削除させていただきます。
Posted by 佐賀城本丸歴史館佐賀城本丸歴史館 at 2019年04月04日 09:50