2015年09月03日
東京の中の佐賀「青山霊園22 千葉胤明」
千葉胤明(1864-1953)は、歌人として知られています。
胤明は、現在の佐賀市久保田町に生まれました。父は桂園派の歌人賢隆坊元祐です。胤明は、佐野常民に師事し、明治初期の美術団体龍池会に勤めながら、鹿児島出身の高崎正風に歌を学んだそうです。その後、農務省博覧会、内国博覧会、パリ万国博覧会事務などを行っていましたが、1892年宮内省御歌所に採用されます。
桂園派の人々は、明治政府の歌道御用掛や御歌所などの要職に採用されており、正風も御歌所初代所長を勤めていたため、胤明の御歌所採用は正風による勧めがあったのでしょう。

2009年9月撮影
胤明は、1908年御歌所寄人になり、1916年から1919年に明治天皇御製編纂に従事、1936年から1944年には歌会始の点者を務めます。1937年帝国芸術院会員になり、1946年従三位に叙せられました。

2013年1月撮影
「千葉家之墓」と書かれた墓碑の正面には、胤明の歌碑がありました。
「新しき國につくさむ むつみあひ ともにはたらき 共に栄えて」とあります。
胤明は書家としても有名で、有名子、春翠などと号しました。

2009年9月撮影
裏には
「昭和二十六年六月十一日/三期奉仕元御歌所寄人/日本芸術院会員/従三位平胤明/八十八歳」とありました。

2009年9月撮影
胤明は、現在の佐賀市久保田町に生まれました。父は桂園派の歌人賢隆坊元祐です。胤明は、佐野常民に師事し、明治初期の美術団体龍池会に勤めながら、鹿児島出身の高崎正風に歌を学んだそうです。その後、農務省博覧会、内国博覧会、パリ万国博覧会事務などを行っていましたが、1892年宮内省御歌所に採用されます。
桂園派の人々は、明治政府の歌道御用掛や御歌所などの要職に採用されており、正風も御歌所初代所長を勤めていたため、胤明の御歌所採用は正風による勧めがあったのでしょう。

2009年9月撮影
胤明は、1908年御歌所寄人になり、1916年から1919年に明治天皇御製編纂に従事、1936年から1944年には歌会始の点者を務めます。1937年帝国芸術院会員になり、1946年従三位に叙せられました。

2013年1月撮影
「千葉家之墓」と書かれた墓碑の正面には、胤明の歌碑がありました。
「新しき國につくさむ むつみあひ ともにはたらき 共に栄えて」とあります。
胤明は書家としても有名で、有名子、春翠などと号しました。

2009年9月撮影
裏には
「昭和二十六年六月十一日/三期奉仕元御歌所寄人/日本芸術院会員/従三位平胤明/八十八歳」とありました。

2009年9月撮影
東京の中の佐賀「おわりに」
東京の中の佐賀「品川台場」【最終回】
東京の中の佐賀「雑司ヶ谷 納富介次郎」
東京の中の佐賀「青山霊園33 江藤新平と交わった人たち」
東京の中の佐賀「青山霊園33 高木背水・江藤淳」
東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」
東京の中の佐賀「品川台場」【最終回】
東京の中の佐賀「雑司ヶ谷 納富介次郎」
東京の中の佐賀「青山霊園33 江藤新平と交わった人たち」
東京の中の佐賀「青山霊園33 高木背水・江藤淳」
東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」
Posted by 佐賀城本丸歴史館 at 08:30
│東京の中の佐賀