2016年01月21日

東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」

「男爵鍋島家累代墓」という墓石を見つけました。玉垣で囲まれた墓域には石灯籠や樹木が配されています。

東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」
2007年11月撮影

東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」
2007年11月撮影

その横には、「従五位鍋島藤蔭之墓」がありました。
鍋島家の関係者で、男爵位を受けた者は何人かいますが、藤蔭の墓があることにより、この「鍋島男爵」が鍋島幹であることがわかりました。
藤蔭(1819-1903)は、佐賀藩家老鍋島孫六郎の養女となった鍋島かつを娶って鍋島家の養子となります。かつは貞(1848-1916)を生み、佐賀藩家老伊東祐元の三男貞幹、のち幹を養子とします。
幹(1844-1913)は、幕末には佐賀藩家老、明治元年24歳で仮代官となり、翌年真岡県(栃木県)知事、その後日光県知事、栃木県令、元老院議官、青森県知事、広島県知事を歴任し、男爵位を受けます。その後貴族院議員を務めました。
藤蔭の横にある墓は妻かつ(勝子 -1884)の墓です。

東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」
2007年11月撮影



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Posted by 佐賀城本丸歴史館 at 08:30 │東京の中の佐賀