2015年07月09日

東京の中の佐賀「青山霊園18 石丸安世」

青山霊園に戻ってきました。前回までに紹介できなかった方の墓を少し散歩してみましょう。
石丸安世(1834-1902)は、「日本電信の祖」などと呼ばれます。日本の電信の重要幹線である東京―長崎線、東京―青森線の設置に尽力しました。
安世は、佐賀城下本庄町に生まれました。長崎海軍伝習所に学び、長崎で知り合ったグラバーの斡旋で、同じ佐賀藩の馬渡八郎とともにイギリスに密航します。帰国後は有田陶業の指導や町民の教育に努めていましたが、明治4年工部省に出仕すると、電信頭として日本の電信組織の創設に努めました。

東京の中の佐賀「青山霊園18 石丸安世」
2013年1月撮影

その後、大阪造幣局長、小浜造船所長なども務めます。のち元老院議官に任命されました。死後従三位に叙されました。

東京の中の佐賀「青山霊園18 石丸安世」
2013年1月撮影

安世の墓の右に「室愛子之墓」があります。愛子(1847-1913)は生前は「阿以」と表記されていたようです。長崎西浜町の住で、長崎士族中村吾道の従妹だそうです。安世が長崎留学中に知り合ったのでしょうか。

東京の中の佐賀「青山霊園18 石丸安世」
2013年1月撮影

墓域内に立つ「経綸之碑」は、安世の生涯を刻んだものです。撰文は久米邦武、篆額は大隈重信、書は西岡逾明によるものです。経綸は、安世がイギリスから帰国後、現在の伊万里市久原に開いた私塾「経綸舎」の名前と共通します。安世はこの「経綸」という言葉が好きだったのでしょうか。

東京の中の佐賀「青山霊園18 石丸安世」
2013年8月撮影


同じカテゴリー(東京の中の佐賀)の記事画像
東京の中の佐賀「品川台場」【最終回】
東京の中の佐賀「雑司ヶ谷 納富介次郎」
東京の中の佐賀「青山霊園33 江藤新平と交わった人たち」
東京の中の佐賀「青山霊園33 高木背水・江藤淳」
東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」
東京の中の佐賀「青山霊園31 中島永元」
同じカテゴリー(東京の中の佐賀)の記事
 東京の中の佐賀「おわりに」 (2016-03-17 08:31)
 東京の中の佐賀「品川台場」【最終回】 (2016-03-17 08:30)
 東京の中の佐賀「雑司ヶ谷 納富介次郎」 (2016-03-03 08:30)
 東京の中の佐賀「青山霊園33 江藤新平と交わった人たち」 (2016-02-18 08:30)
 東京の中の佐賀「青山霊園33 高木背水・江藤淳」 (2016-02-04 08:30)
 東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」 (2016-01-21 08:30)

Posted by 佐賀城本丸歴史館 at 08:30 │東京の中の佐賀