2015年03月05日
東京の中の佐賀「多磨霊園3 長谷川町子の墓」
多磨霊園のほぼ中央部、10区に、『サザエさん』『いじわるばあさん』の漫画で有名な長谷川町子の墓がありました。低木の木々に囲まれた緑の空間をもつ墓地です。
2007年11月撮影
2007年11月撮影
切り石で構成された個性的な墓石に長谷川家という文字と、その上に十字架が刻まれていました。
2007年11月撮影
墓石の裏には、長谷川町子(1920-1992)の名前とともに、町子の父勇吉(昭和8年卒)、母貞子(昭和6年卒)らの名前がありました。勇吉は三菱炭坑の技師で、佐賀県小城郡東多久村(現・多久市)別府に住んでいた時に町子は生まれました。町子は、三人姉妹の次女で、間もなく勇吉のワイヤーロープの事業開業に伴い福岡市春吉に転居したそうです。
2007年11月撮影
ぷらす1
町子が住んでいた、世田谷区桜新町に長谷川町子美術館があります。
この美術館には、町子と姉の毬子が収集した美術品が管理展示されています。美術館の2階には、町子の業績を記念する展示がありました。
2009年2月撮影
ぷらす2
多久市多久駅近くにある、列車に石炭を積み込むためのホッパー跡です。かつて炭坑町だった多久が炭鉱であった面影を示すものはなくなりつつあります。
2013年5月撮影
2007年11月撮影
2007年11月撮影
切り石で構成された個性的な墓石に長谷川家という文字と、その上に十字架が刻まれていました。
2007年11月撮影
墓石の裏には、長谷川町子(1920-1992)の名前とともに、町子の父勇吉(昭和8年卒)、母貞子(昭和6年卒)らの名前がありました。勇吉は三菱炭坑の技師で、佐賀県小城郡東多久村(現・多久市)別府に住んでいた時に町子は生まれました。町子は、三人姉妹の次女で、間もなく勇吉のワイヤーロープの事業開業に伴い福岡市春吉に転居したそうです。
2007年11月撮影
ぷらす1
町子が住んでいた、世田谷区桜新町に長谷川町子美術館があります。
この美術館には、町子と姉の毬子が収集した美術品が管理展示されています。美術館の2階には、町子の業績を記念する展示がありました。
2009年2月撮影
ぷらす2
多久市多久駅近くにある、列車に石炭を積み込むためのホッパー跡です。かつて炭坑町だった多久が炭鉱であった面影を示すものはなくなりつつあります。
2013年5月撮影
東京の中の佐賀「おわりに」
東京の中の佐賀「品川台場」【最終回】
東京の中の佐賀「雑司ヶ谷 納富介次郎」
東京の中の佐賀「青山霊園33 江藤新平と交わった人たち」
東京の中の佐賀「青山霊園33 高木背水・江藤淳」
東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」
東京の中の佐賀「品川台場」【最終回】
東京の中の佐賀「雑司ヶ谷 納富介次郎」
東京の中の佐賀「青山霊園33 江藤新平と交わった人たち」
東京の中の佐賀「青山霊園33 高木背水・江藤淳」
東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」
Posted by 佐賀城本丸歴史館 at 08:30
│東京の中の佐賀