2014年11月27日
東京の中の佐賀「薬王寺 中林梧竹の寿塔」
伊皿子交差点の近くに薬王寺があります。この付近は、幕末にフランスやオランダの公使館が設置された歴史的な場所です。
薬王寺は、元和7年(1621)麻布狸穴に開創され、現在の三田には寛文元年(1661)に移ってきたそうです。
寺域には、加賀千代女(1703-1775)が、「朝顔に つるべ取られて もらい水」と詠んだ古井戸があります。


2014年3月撮影
この寺の墓地に中林梧竹の墓があります。中林梧竹(1827-1913)は小城藩の家臣の家に生まれた書家で、明治の三筆に数えられます。梧竹は、中国六朝の書法を学び、中国にも渡りました。
この墓は、生前に建てられた寿塔です。

2011年5月撮影
正面には、「天下一閑人」と彫られています。右面には「肥前國小城 俗名彦四郎隆経/梧竹堂鳳栖五雲居士/大正二年八月四日卒」、左面には梧竹の事跡が刻まれています。

2011年5月撮影
梧竹の墓が建てられている場所は、会津藩士山内家の墓域です。梧竹の墓の向かいにある「山内香雪先生之墓」の主山内香雪(1799-1860)は梧竹の書の師です。梧竹は、19才で江戸に出て、香雪と市河米庵(1779-1858)に入門しました。

2011年5月撮影
ぷらす
佐賀県小城市三日月町の長栄寺にある梧竹の墓です。中風を発症した梧竹は大正2年帰郷し、小城で亡くなりました。

2014年2月撮影
小城市小城町の本町にある生誕地の碑です。

2013年7月撮影
薬王寺は、元和7年(1621)麻布狸穴に開創され、現在の三田には寛文元年(1661)に移ってきたそうです。
寺域には、加賀千代女(1703-1775)が、「朝顔に つるべ取られて もらい水」と詠んだ古井戸があります。


2014年3月撮影
この寺の墓地に中林梧竹の墓があります。中林梧竹(1827-1913)は小城藩の家臣の家に生まれた書家で、明治の三筆に数えられます。梧竹は、中国六朝の書法を学び、中国にも渡りました。
この墓は、生前に建てられた寿塔です。

2011年5月撮影
正面には、「天下一閑人」と彫られています。右面には「肥前國小城 俗名彦四郎隆経/梧竹堂鳳栖五雲居士/大正二年八月四日卒」、左面には梧竹の事跡が刻まれています。

2011年5月撮影
梧竹の墓が建てられている場所は、会津藩士山内家の墓域です。梧竹の墓の向かいにある「山内香雪先生之墓」の主山内香雪(1799-1860)は梧竹の書の師です。梧竹は、19才で江戸に出て、香雪と市河米庵(1779-1858)に入門しました。

2011年5月撮影


佐賀県小城市三日月町の長栄寺にある梧竹の墓です。中風を発症した梧竹は大正2年帰郷し、小城で亡くなりました。

2014年2月撮影
小城市小城町の本町にある生誕地の碑です。

2013年7月撮影
東京の中の佐賀「おわりに」
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Posted by 佐賀城本丸歴史館 at 08:30
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