2014年06月26日

東京の中の佐賀「賢崇寺10 蒲原有明・戸川幸夫」

蒲原有明(1876-1952、かんばらありあけ)は、本名を隼夫(雄)といいます。この名前は東京隼町に生まれたことにちなむそうです。隼夫の父は佐賀県白石町須古出身で、上京し、司法省、文部省につとめました。隼夫は、19歳の時に本籍地須古で徴兵検査を受けましたが、丙種不合格。生来病弱でした。この機会に佐賀を旅行し、その後帰郷して詩作に専念、印象派詩人として薄田泣菫と並び称されました。

東京の中の佐賀「賢崇寺10 蒲原有明・戸川幸夫」
2011年10月撮影

「蒲原家累代之墓」は、賢宗寺南を東西に走る墓道の横に立っています。御影石の凝った作りの墓で、裏には「天保元年四月生於肥前/建築術歴任諸省叙正七位/明治卅八年十一月六日卒/享年七十六/法號 歡昌院誠建慧忠居士/全貞院昌室永壽大姉」と刻まれています。前者は父忠蔵で、後者は忠蔵の後妻でしょうか。

東京の中の佐賀「賢崇寺10 蒲原有明・戸川幸夫」
2012年12月撮影

墓石の右面に有明の墓誌が刻まれています。
「 有明 蒲原隼雄 墓
明治九年三月十五日東京麹町区隼町に生る 文学に志を立て父祖の地佐賀縣 杵島岳麓須古に青年期を通し「ありあけ」と號す 象徴主義詩人として日本 文学の發展に寄與すること偉大なり  昭和二十六年二月三日鎌倉二階堂に殁す 享年七十七 法號 龍徳院宏文有 明居士/野田守太郎 」
 野田守太郎も詩人。

東京の中の佐賀「賢崇寺10 蒲原有明・戸川幸夫」
2010年2月撮影

戸川 幸夫(1912-2004)は、佐賀県出身の小説家、児童文学作家です。動物を主人公とした「動物文学」「動物小説」というジャンルを確立させ、椋鳩十と並び称されるそうです。イリオモテヤマネコが発見されるきっかけとなった標本を入手するなど、動物に関しては正しい観察、知識を元に物語を書いていたそうです。特に、闘犬に関する作品が多いようですが、ルポルタージュ、戦記物語などの作品もあり、漫画原作を手がけたこともあるそうです(Wikipediaより)。
割石を敷いた敷地の奥に自然石を組み合わせた墓碑が建てられています。「戸川之墓」とあります。

東京の中の佐賀「賢崇寺10 蒲原有明・戸川幸夫」
2011年2月撮影

私自身は、若い頃、『歴史と人物』という歴史雑誌で「日本動物小史」や「動物巷譚」という連載を楽しみにしていました。

東京の中の佐賀「賢崇寺10 蒲原有明・戸川幸夫」
2011年2月撮影



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Posted by 佐賀城本丸歴史館 at 08:30 │東京の中の佐賀