2013年10月31日

東京の中の佐賀「青山霊園13 松田正久」

松田正久(1845-1914)は、現在の小城市牛津町に生まれました。小城藩の藩校興譲館で学び、明治2年に東京の昌平黌に派遣されました。その後、陸軍省に出仕し、フランスに3年留学しています。
帰国後、佐賀に帰郷、留学で学んだ自由主義の経験に基づき政治活動を行い、長崎県議会議員、衆議院議員を務めました。大蔵大臣、文部大臣、司法大臣を歴任、衆議院議長にも就任し、男爵を授けられています。原敬とともに政友会を率いて運動しました。

東京の中の佐賀「青山霊園13 松田正久」
2009年9月撮影

松田家の墓は、1種ロ8-1にあります。この墓地番号が示す地区は、警視庁墓地、通称「警視庁の森」となっており、警察関係者が多数葬られている地区です。正久の墓は、この一角のやや南西寄りにありました。

東京の中の佐賀「青山霊園13 松田正久」
2009年9月撮影

正久の墓の左に松田静子の墓碑、手前に松田家の墓がありました。
静子は、正久の夫人でしょう。

東京の中の佐賀「青山霊園13 松田正久」
2009年9月撮影

東京の中の佐賀「青山霊園13 松田正久」
2009年9月撮影

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正久が学んだ藩校興譲館の跡は、現在小城市立桜岡小学校になっています。

東京の中の佐賀「青山霊園13 松田正久」
2010年7月撮影

東京の中の佐賀「青山霊園13 松田正久」
2010年7月撮影


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Posted by 佐賀城本丸歴史館 at 08:30 │東京の中の佐賀