2013年02月21日

東京の中の佐賀「新宿・常圓寺」

新宿駅西口を出て、新都心歩道橋方面に進むと、すぐに常圓寺前に出ます。
常圓寺は、日蓮宗の寺院です。昭和20年戦災で本堂や多くの文化財が焼けてしまったそうです。

東京の中の佐賀「新宿・常圓寺」
2013年1月撮影

常圓寺の墓地は、小さい道を挟んで南北に分かれており、辰野金吾の墓は、北の地区にありました。
お寺の方にお尋ねして見つけることができました。雪かきをされていた方には、「辰野金吾の墓」というより、「東京駅を設計した人の墓」といったほうが、すぐにわかったようです。

東京の中の佐賀「新宿・常圓寺」
2013年1月撮影

辰野金吾(1854-1919)は、唐津出身の建築家で、東京駅や日本銀行の設計に携わりました。
正面に辰野金吾と室秀子の墓があります。
その左には辰野隆、室久子の墓がありました。
辰野隆(たつの ゆたか、1888-1964)は、金吾の長男で、フランス文学を専攻し、東京帝国大学教授を務めました。

東京の中の佐賀「新宿・常圓寺」
2013年1月撮影

右手の方には、辰野保と室千代の墓があります。辰野保(1891-1938)は金吾の次男で、陸上競技選手として活躍しました。東京帝国大学在学時の大正2年(1913)に、第1回全国陸上大会で砲丸投げで9m00の記録を打ち立てて優勝したそうです。
その後、日本体育協會理事 東京オリンピック招致委員長 大日本相撲協會理事などを務めたそうです。法学士 辯護士でもあります。

東京の中の佐賀「新宿・常圓寺」
2008年11月撮影

flairぷらすflair
辰野金吾が設計した東京駅については本ブログの昨年10月25日号で、日本銀行本店については同じく11月1日号で紹介しました。
金吾が設計した建築物は佐賀県にも残っています。これは武雄温泉楼門で、1914年に上棟しました。国の重要文化財に指定されています。

東京の中の佐賀「新宿・常圓寺」
2001年11月撮影

武雄温泉新館も辰野金吾の設計です(重要文化財)。

東京の中の佐賀「新宿・常圓寺」
2005年4月撮影


同じカテゴリー(東京の中の佐賀)の記事画像
東京の中の佐賀「品川台場」【最終回】
東京の中の佐賀「雑司ヶ谷 納富介次郎」
東京の中の佐賀「青山霊園33 江藤新平と交わった人たち」
東京の中の佐賀「青山霊園33 高木背水・江藤淳」
東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」
東京の中の佐賀「青山霊園31 中島永元」
同じカテゴリー(東京の中の佐賀)の記事
 東京の中の佐賀「おわりに」 (2016-03-17 08:31)
 東京の中の佐賀「品川台場」【最終回】 (2016-03-17 08:30)
 東京の中の佐賀「雑司ヶ谷 納富介次郎」 (2016-03-03 08:30)
 東京の中の佐賀「青山霊園33 江藤新平と交わった人たち」 (2016-02-18 08:30)
 東京の中の佐賀「青山霊園33 高木背水・江藤淳」 (2016-02-04 08:30)
 東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」 (2016-01-21 08:30)

Posted by 佐賀城本丸歴史館 at 08:30 │東京の中の佐賀