2012年10月25日
東京の中の佐賀「東京駅~大手町」
東京駅~大手町
東京駅丸ノ内庁舎は、平成24年10月1日にリニューアルオープンし、多くの人でにぎわっていました。新しい観光スポットができたようです。(平成24年10月3日撮影)


東京駅は、唐津出身の建築家辰野金吾によって設計された駅庁舎です。
辰野式の建物は、べたっとした赤れんが一色ではなく、白い帯形や隅石、付け柱などをリズミカルに配するところに独自の特徴があります。
東京駅は、戦災で南北の尖頭の八角ドームが焼失。上がとがった屋根に応急修理されました。(修理前の写真)


今回この外観を元に戻す工事が行われたものです。(工事中の写真)
有名な話として、辰野の前にドイツ人バルツァーの設計があったのですが、入母屋の屋根や唐破風の衣装を取り入れた和洋折衷のデザインのこの設計図を見た辰野は「西洋婦人が洋服を着ていながら、赤毛の島田髷に花かんざしを差しているようなもの」といって、反対したと言われています。

ドームの内側のデザインも元の形に復元されました。

大手町の方に歩いて行くと、逓信総合博物館、通称「ていぱーく」があります。情報通信関係の博物館で、郵便・郵貯・簡保の「郵政事業」、電話やインターネット等の「電気通信事業」、ラジオやテレビ等の「放送事業」に関する資料の収集・保存、展示、調査研究等が行われています。

多久市出身の物理学者、電気工学者で、日本における電気工学の普及・発展の必要性をいち早く訴え、「先見の人」と呼ばれる志田 林三郎(1855-1892)に関係する展示もありました。
そのほか、電話事業が始まった頃の東京横浜電話加入者人名表(明治23年12月)の中に、177番に大隈重信の名がありました。
面白いものとして、年賀切手に使われた各地の郷土玩具の展示コーナーがあり、のごみ人形が展示してありました。昭和38年の年賀切手にうさぎの人形が使われています。

東京駅丸ノ内庁舎は、平成24年10月1日にリニューアルオープンし、多くの人でにぎわっていました。新しい観光スポットができたようです。(平成24年10月3日撮影)


東京駅は、唐津出身の建築家辰野金吾によって設計された駅庁舎です。
辰野式の建物は、べたっとした赤れんが一色ではなく、白い帯形や隅石、付け柱などをリズミカルに配するところに独自の特徴があります。
東京駅は、戦災で南北の尖頭の八角ドームが焼失。上がとがった屋根に応急修理されました。(修理前の写真)


今回この外観を元に戻す工事が行われたものです。(工事中の写真)
有名な話として、辰野の前にドイツ人バルツァーの設計があったのですが、入母屋の屋根や唐破風の衣装を取り入れた和洋折衷のデザインのこの設計図を見た辰野は「西洋婦人が洋服を着ていながら、赤毛の島田髷に花かんざしを差しているようなもの」といって、反対したと言われています。

ドームの内側のデザインも元の形に復元されました。

大手町の方に歩いて行くと、逓信総合博物館、通称「ていぱーく」があります。情報通信関係の博物館で、郵便・郵貯・簡保の「郵政事業」、電話やインターネット等の「電気通信事業」、ラジオやテレビ等の「放送事業」に関する資料の収集・保存、展示、調査研究等が行われています。

多久市出身の物理学者、電気工学者で、日本における電気工学の普及・発展の必要性をいち早く訴え、「先見の人」と呼ばれる志田 林三郎(1855-1892)に関係する展示もありました。
そのほか、電話事業が始まった頃の東京横浜電話加入者人名表(明治23年12月)の中に、177番に大隈重信の名がありました。
面白いものとして、年賀切手に使われた各地の郷土玩具の展示コーナーがあり、のごみ人形が展示してありました。昭和38年の年賀切手にうさぎの人形が使われています。

東京の中の佐賀「おわりに」
東京の中の佐賀「品川台場」【最終回】
東京の中の佐賀「雑司ヶ谷 納富介次郎」
東京の中の佐賀「青山霊園33 江藤新平と交わった人たち」
東京の中の佐賀「青山霊園33 高木背水・江藤淳」
東京の中の佐賀「青山霊園32 鍋島藤蔭・幹」
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Posted by 佐賀城本丸歴史館 at 08:30
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