2010年08月25日
枝吉神陽1
編集部雑話1 枝吉神陽1
NHK大河ドラマ「龍馬伝」で武地半平太への注目が高まっていると聞きます。
長州の吉田松陰(寅次郎)や土佐の武市瑞山(半平太)は、それぞれの藩の尊王派の指導者として知られています。肥前佐賀藩の尊王派の首魁は枝吉神陽(経種)です。この人は副島種臣(枝吉次郎)の実兄で、島義勇、江藤新平、大木喬任、大隈重信ら、明治に活躍した多くの佐賀人たちの先生です。かれらは政府の高官になってからも神陽先生を崇敬しつづけます。
副島種臣は、
と語っています。
おそらく七十歳ころの談話だと思われますが、晩年の副島のこころの中に、三十年以上前に四十一歳で亡くなった神陽先生がなお生きていたのです。(荷魚)
NHK大河ドラマ「龍馬伝」で武地半平太への注目が高まっていると聞きます。
長州の吉田松陰(寅次郎)や土佐の武市瑞山(半平太)は、それぞれの藩の尊王派の指導者として知られています。肥前佐賀藩の尊王派の首魁は枝吉神陽(経種)です。この人は副島種臣(枝吉次郎)の実兄で、島義勇、江藤新平、大木喬任、大隈重信ら、明治に活躍した多くの佐賀人たちの先生です。かれらは政府の高官になってからも神陽先生を崇敬しつづけます。
副島種臣は、
我輩は兄等の教育を受けて居るものであるから、物に依て吾が言う所は兄の言う言葉なりとなる。自分が理に当らぬことを言えば、自分の落度で、兄の誤りではない。
(『蒼海閑話』〈島善高編『副島種臣全集2』慧文社〉)
と語っています。
おそらく七十歳ころの談話だと思われますが、晩年の副島のこころの中に、三十年以上前に四十一歳で亡くなった神陽先生がなお生きていたのです。(荷魚)
Posted by 佐賀城本丸歴史館 at 20:00
│編集部雑話