2014年05月01日

東京の中の佐賀「賢崇寺6 大島邦秀」

大島邦秀(1844-1876)の墓は、大ぶりの自然石に「故陸軍中佐正六位大島邦秀墓」とその名が刻まれています。邦秀は、長崎生まれの佐賀藩士で、奥羽戦争従軍後、明治政府に出仕し、兵部省官僚、陸軍軍人などを務めました。

東京の中の佐賀「賢崇寺6 大島邦秀」
2011年10月撮影

明治7年2月の佐賀の乱に当たっては、鎮定軍に配属され、郷士と戦わなければならないことに苦悩しますが、佐賀に到着する前に戦いは鎮定していました。
その後大久保利通が国内の不平を海外に向けるために画策したとも言われる台湾出兵に、参謀として入地します。
明治9年、熊本県で廃刀令に反対して起こった敬神党の反乱鎮圧のために派遣され、戦いの最中に戦死しました。

東京の中の佐賀「賢崇寺6 大島邦秀」
2011年4月撮影

邦秀の墓の横には、妻の小林貞子の墓が並んでいました。

東京の中の佐賀「賢崇寺6 大島邦秀」
2010年2月撮影

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神風連の乱が起こった熊本市の後背、花岡山にある官軍墓地には、この乱の鎮圧に当たって戦死した熊本鎮台司令長官で陸軍少将種田政明、参謀長高島茂徳中佐と並んで邦秀の墓があります。

東京の中の佐賀「賢崇寺6 大島邦秀」
2013年1月撮影

東京の中の佐賀「賢崇寺6 大島邦秀」
2013年1月撮影

「陸軍中佐正六位大島邦秀之墓」と書かれています。

東京の中の佐賀「賢崇寺6 大島邦秀」
2013年1月撮影


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Posted by 佐賀城本丸歴史館 at 08:30 │東京の中の佐賀